代表プロフィール
代表プロフィールご紹介
塗り屋ってどんな会社?
こんにちは、代表の山岡幸樹と申します。 建築業・塗装業として独立したのが二十歳の頃。お客様に支えられここまで来る事ができました。そのお客様方から「本当に良くなった」「家が生まれ変わった」と言っていただくことが幸せだな~と感じている 山岡幸樹です。
ここで私が塗装工事に対してどのような姿勢で取り組んでいるのか。また私が日頃感じていること、伝えたいことや、お客様に真剣に考えていただきたいことなどを、私の体験談をまじえつつお話させていただければと思います。そして読み終えたときに、これまでより少しだけ私のことを身近に感じていただけたら幸いです。それではしばしお付き合い下さい。
職人になるまで
1968年12月、津市の三重大学付属病院で誕生しました。
小さい時からわんぱく坊主で、目立ちたがり屋の子どもだったそうです。
外でしか遊んだ記憶がないくらいのわんぱく坊主(笑)。
そのわんぱく坊主が中学の頃、少し横道にそれてしまい、元々なんですがそれに輪をかけて勉強が嫌いになり…。
だけど【工作・木工】には興味があったので高校には行かず職業訓練校(津高等技術学校)の建築課へ進み大工のおもしろさに取り付かれ、卒業後、地元の工務店に弟子入りをして職人としての人生をスタートさせました。
職人として
誰よりも早く高い技術を身につけたくて夢中になって働きました。
最後に修行をした工務店では木造軸組在来工法だけでなく、2×4 鉄骨構造 建売 色んな工法を学びました。
毎日毎日、目の前の仕事にくらいつき、充実感を味わうとともに、悲しい現実を目にすることもありました。
手抜きが当たり前の現実。
下請けの仕事では、満足な材料の請求ができないので、手抜きがしばしば行われていたのです。
営業力がないために、大手の会社の下請けでしか生き延びる事が出来ない職人。
また、自分の利益のことしか考えない営業マンの言葉を信用したばかりに、法外な価格でいいかげんな工事をされてしまうお客様。
工事を依頼するお客様は、より豊かな暮らしを望んでいるはずです。
それなのに手抜き工事によって残念な思いをする方が後を絶たないということが、私にはどうしても許せませんでした。
頭が固すぎるかもしれない。バカ正直なだけかもしれない。
でも私は、お金を払ってくれるお客様に、ウソはつきたくありませんでした。理想と現実との間で、悶々とする日々が続きました。
人生は一度きり。独立して自分の思いを実現したい!
人生は一度きり。
いつか死んでしまうのなら、後悔のない生き方をしたい!
自分の力をためしてみたい!
独立を決意したのは 1989年4月のことです。
設立したのは「山岡建築」といいます。
私は独立することでもっとお客様と接点のある仕事がしたいと思いました。たいていの職人は口下手です。
それはきっと、コミュニケーションよりも、技術習得に力をいれているからだと思います。
けれど私はそれだけではいけないと思います。技術を習得するのはあたりまえ。
これからは、その技術を広く正しく伝えることで、お客様との信頼関係を築いていかなければ・・・!
実際のところリフォームでも塗り替え工事でも、お客様と接するのは、口達者・技術ゼロの営業マンばかりです。
しかし自分は技術を磨き、自分を磨くことで、お客様の喜んでいただけるサービスをご提供していきたいと考えております。
結果たくさんの笑顔や喜びの声をいただきました。
そして自分をもっと磨こうと、あれだけ嫌いだった勉強を自ら進んでしています。
そして口コミや紹介が増えてきて内容も徐々に安定してきました。
2002年になり、もっと三重の皆様の笑顔をいただきたくて、地域密着型の建築屋を目指す決意をし、「株式会社プロジェクト品川」を設立いたしました。お陰様で常に2ヶ月先まで予約が出来てしまう建築屋になりました。
その後、外壁塗装事業を独立させ、現在は「株式会社塗り屋NURIYA」として、どこにも負けないような高品質な塗装工事が出来るよう、皆様のお家を守る為に、日々尽力しております!
代表 山岡のプロフィール
山岡 幸樹(やまおか こうき)
休日の過ごし方:
子供と一緒に、子供の頃に戻ったつもりで遊ぶ
お客様へのメッセージ:
何でもそうですが、お客様に笑顔がなければなりません。 私はお客様の笑顔を増すことが仕事であり、喜びでもあります。